キーナンとエクソンは、事故率が高い年齢について。

キーナンとエクソンは

この週末こそ休もうと決めていた。その矢先に「軽井沢駅で連合赤軍兵士四名逮捕」の報がとびこんできたのである。「銃声が聞こえる皿」この一報を聞いたとたんに、それまでのけだるい疲労感はどこへやら、またぞろ血が騒ぎはじめた。早速警備局長室に意見具申のために飛びこんで、性懲りもなく「警察犬、ヘリ、AAA一個大隊の長野県急派」と兵力の集中運用策を再献言する。一九六七年(昭和四十二年)文化大革命とベトナム戦争の余波をうけて香港が大暴動となったとき、香港領事として英国政庁の暴動鎮圧の手法をつぶさに見学していた私は、英国人が日本式の「兵力の逐次投入」を大変嫌い、「火は火花のうちに消せ」という兵力の大量集中配備を好むことを知った。

「何か教祖には深いお考えがあって殺人するのだろう」と言って行動に移してしまったのが、オウム真理教でしょう。最終的には、信じている自分を信じる、もはや教祖を信じていなくても、いったん信じた自分を裏切れない、ということになってしまいます。完全に自己批判する視点が失われて、究極のナルシシズムに陥った状態です。うぬぽしかも本人は自分を自惚れているとは思わない。とても価値あるものを信じて、それに従って生きていると思いこんでしまうのです。

これが国松さんの持論である。国松さんと中坊さんの最初の接点は、豊田商事事件だった。豊田商事が展開した金の現物まがい商法は八一年九月に始まり、お年寄りを中心に被害者は三万人近くにのぼった。永野一男社長らは、実際には現物の金が手元に存在しないのに、「純金ファミリー契約」などで金に対する投資を勧め、老後の蓄えなどをだましとっていった。永野社長は、報道陣が取り囲む自宅マンションで暴力団員に刺殺され(八五年六月一八日)、社会に衝撃的な記憶を残した事件だった。

(中略)これに反し提造されたにすぎない構成は、適切な着想と表象に欠けている点でたちまち馬脚を露わすであろう。(U・ウンドイッチ著『証言の心理』植村秀三訳東京大学出版会)かいまみそれこそ一瞬を、〃垣間見た〃し」いうのである。それなのに、暗い室内で見えたという人物が、どうして、池田名誉会長(当時、青年部参謀室長)だった、と識別し得たのか。昭和二十八年の暮れ、某中学校の講堂の指導会で、遠くから見た、というだけなのに。

もしこの形が繰り返されるなら、集団安全保障という考えそのものが完全に信用を失うことになるだろう。だが、じっに驚くべきものが出現することもあり得る。民間企業が組織する志願傭兵部隊の登場である。これは、契約金をベースにして戦争をする部隊で、いわば、昨日の時代のヨンドチエリ」(訳注二四‐一六世紀の傭兵隊長)が明日の時代の武器で武装したようなものなのだ。各国政府は、自国の若者たちを戦場に送り出し、セルビアやクロアチアやボスニアの不正規軍との戦闘で死なせるわけにはいかなかった。

怖いか」とたずねた。すると、落ち着きのある若い軍曹は、思慮深げな面持ちでレポーターに目を向けると、こう答えた。「怖いか、と言うのか?そんなことはない。危倶を感じていないと言ったら嘘になるが」。慎重な言葉の選別と語集の豊かさこそが、部隊の質の高さを雄弁に物語っていた。外交問題協議会の軍人会員WCグレグソン海軍大佐の言葉を借りれば、戦闘隊員は、「単なる銃・弾薬の運び屋ではない。

したがって、新たな文明は、かっての近代文明と同じように、世界の覇権を確立するために戦うことになるだろう。二分割された世界から三分割された世界への移行は、地球上の最も根源的な権力闘争を引き起こす引き金となる。今日の武力紛争の多くと来るべき戦争とは無関係のように見えるけれども、前世紀の民族統一の戦いや植民地戦争同様、それらは、ともに、地球上に新文明が加速的に波及することによってもたらされる、とてつもない緊張関係から派生するものなのだ